清水お茶の歴史
日本のお茶は、平安朝の初期に最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)など、唐へ留学した僧侶たちによって中国から持ち帰ったのが始まりとされています。鎌倉時代に栄西禅師が中国から持ち帰った種子を、明恵上人によって全国6ヶ所に広められました。このうちの1ヶ所が「駿河の清見(きよみ)」(清水興津付近)とされています。
また、同じく鎌倉時代に静岡市葵区栃沢生まれの高僧聖一国師が、栄から帰国した際に持ち帰ったお茶の種を葵区足久保に播いたのが静岡茶の始まりといわれています。
清水の茶生産の起源は、清見や足久保から始まっています。江戸時代、東海道の宿場町であったため”清見のお茶”が名物となっていたとされています。江戸時代末期から明治39年頃にかけ清水港からお茶が直接輸出されるようになり急速に生産が拡大していきました。
また、同じく鎌倉時代に静岡市葵区栃沢生まれの高僧聖一国師が、栄から帰国した際に持ち帰ったお茶の種を葵区足久保に播いたのが静岡茶の始まりといわれています。
清水の茶生産の起源は、清見や足久保から始まっています。江戸時代、東海道の宿場町であったため”清見のお茶”が名物となっていたとされています。江戸時代末期から明治39年頃にかけ清水港からお茶が直接輸出されるようになり急速に生産が拡大していきました。
聖一国師堂
安置されている聖一国師の木像は彫刻家・杉本宗一によって制作され、昭和29年10月に開眼の儀が行われました。
毎年、春秋の2回聖一国師堂(しょういちこくしどう)の祭典が行われています。春には新茶を、秋にはソバが献上されています。また、この堂の東側には、静岡市羽鳥から約200年前の古い民家を移築し茶室とした慶風庵があります。
●所在地:静岡市清水区上原(南幹線[県道407号線]沿いイオン南側)
毎年、春秋の2回聖一国師堂(しょういちこくしどう)の祭典が行われています。春には新茶を、秋にはソバが献上されています。また、この堂の東側には、静岡市羽鳥から約200年前の古い民家を移築し茶室とした慶風庵があります。
●所在地:静岡市清水区上原(南幹線[県道407号線]沿いイオン南側)
やぶきた原樹
独特の香りと味を持ち、収穫量も多く、大型で樹勢も強い優良品種といわれている「やぶきた」は茶の代表的な品種です。
「やぶきた」は茶の品種改良の先駆者である杉山彦三郎によって長年の努力と忍耐の告果、明治41年に見つけ出されました。このやぶきた母樹は昭和38年県の天然記念物に指定され、樹齢は約115年とされています。また、母樹の近くには鎌倉時代の僧、栄西禅師の碑が建てられていますが、栄西は中国から茶の実を持ち帰り、日本に茶を植えた最初の人と言われています。
●所在地:静岡市駿河区谷田24(谷田宮の後公園南側)
「やぶきた」は茶の品種改良の先駆者である杉山彦三郎によって長年の努力と忍耐の告果、明治41年に見つけ出されました。このやぶきた母樹は昭和38年県の天然記念物に指定され、樹齢は約115年とされています。また、母樹の近くには鎌倉時代の僧、栄西禅師の碑が建てられていますが、栄西は中国から茶の実を持ち帰り、日本に茶を植えた最初の人と言われています。
●所在地:静岡市駿河区谷田24(谷田宮の後公園南側)
千手寺
茶の湯には一般的に抹茶が使用されますが、茶の葉に湯を注いで飲む煎茶を利用した茶の湯もあります。
これが「煎茶道」と呼ばれています。煎茶道を始めた人が、京都の万福寺の僧・売茶翁です。万福寺と関係の深い千手寺では、売茶翁の肖像画や万福寺に伝わる普茶料理も作られています。
千手寺の境内には、白秋庵という茶室もあり昭和2年北原白秋がちゃっきり節を作詩した折、この寺に立ち寄り「狐音頭」と言う歌も作詩したことによるものです。
●所在地:静岡市清水区上原2丁目4-52
これが「煎茶道」と呼ばれています。煎茶道を始めた人が、京都の万福寺の僧・売茶翁です。万福寺と関係の深い千手寺では、売茶翁の肖像画や万福寺に伝わる普茶料理も作られています。
千手寺の境内には、白秋庵という茶室もあり昭和2年北原白秋がちゃっきり節を作詩した折、この寺に立ち寄り「狐音頭」と言う歌も作詩したことによるものです。
●所在地:静岡市清水区上原2丁目4-52
楞巌院
楞巌院(りょうごんいん)は、静岡市の竜爪山で修行した道白禅師によって開かれました。
楞巌院(りょうごんいん)には、徳川御三家のひとつ、紀州家第6代宗直の子、悦姫の愛用した旅茶だんすが残っています。この旅茶だんすは、清水出身といわれ、紀州家の医師として使えていた田中寿庵が寺に贈ったものです。このたんすの中の茶道具一式は、大名行列など旅先で茶をたてる時に使用したもので、黒いうるし地に金色の葵の紋や松や梅の模様が取り入れられた豪華な造りになっています。
●所在地:静岡市清水区今泉93
楞巌院(りょうごんいん)には、徳川御三家のひとつ、紀州家第6代宗直の子、悦姫の愛用した旅茶だんすが残っています。この旅茶だんすは、清水出身といわれ、紀州家の医師として使えていた田中寿庵が寺に贈ったものです。このたんすの中の茶道具一式は、大名行列など旅先で茶をたてる時に使用したもので、黒いうるし地に金色の葵の紋や松や梅の模様が取り入れられた豪華な造りになっています。
●所在地:静岡市清水区今泉93
清見寺
1250年に開かれた清見寺は高台に立てられている為景観がよく、東海道を往来する人に愛されてきました。
この寺には、茶人・千利休のものと言われている茶しゃくをはじめ、徳川家康の茶碗、清見寺付近から発掘された茶釜、水差しなどが残っています。尾張の職人を招いて作らせたとされる茶室もあります。また、さまざまな表情をした羅漢さんの像もたっています。
清見寺付近の茶は、全国に茶の栽培を広めた明恵上人が植えたと伝えられ、古くから栽培されていた事が「喫茶往来」という書物に書かれています。
●所在地:静岡市清水区興津清見寺町418-1
この寺には、茶人・千利休のものと言われている茶しゃくをはじめ、徳川家康の茶碗、清見寺付近から発掘された茶釜、水差しなどが残っています。尾張の職人を招いて作らせたとされる茶室もあります。また、さまざまな表情をした羅漢さんの像もたっています。
清見寺付近の茶は、全国に茶の栽培を広めた明恵上人が植えたと伝えられ、古くから栽培されていた事が「喫茶往来」という書物に書かれています。
●所在地:静岡市清水区興津清見寺町418-1
ちゃっきりぶし民謡碑
昭和41年、静岡鉄道がちゃっきり節誕生40周年を記念して日本平パークセンター屋上に創られたものです。
「ちゃっきり」という言葉は、茶を刈るはさみの音にちなんだもので、その頃からはさみが多く使われ始めました。
●所在地:静岡市清水区草薙597-8(日本平パークセンター屋上)
「ちゃっきり」という言葉は、茶を刈るはさみの音にちなんだもので、その頃からはさみが多く使われ始めました。
●所在地:静岡市清水区草薙597-8(日本平パークセンター屋上)